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2024.07.10
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ラフマニノフを弾いてみました 3
ロシアの作曲家、ラフマニノフが作曲した『楽興の時』より第5曲を弾いてみました。
ピアノの練習の楽しさは、子供の頃よくプラモデルを作って遊んだのですが、その楽しさに似ていると思っています。
説明書を見ながら、少しずつ組み立てていく。次第に形ができていく楽しさ。自分なりに出来上がったら満足げにそれを棚に飾る。
ピアノの練習も楽譜を見ながら音を組み立てていく。途中お気に入りの和音のところに来たら「なるほど、この組み合わせであの音が出ていたのか」と納得したりして、次第に次第に形が出来上がっていく楽しさはプラモデルと一緒です。そして自分なりに出来上がったらユーチューブへアップ。ただし、満足げに、とはなかなかいきませんね。
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2024.04.29
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桜満開
少し前までは、旭川の桜は5月10日くらいに満開になっていたと思うのですが、早くなってきたようで、今年はちょうどゴールデンウイークに合わせたように咲き誇っています。カメラを持った大勢の人が集まっておりました。私もそのうちの一人ですが。
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2024.04.09
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野鳥を観察
旭川市永山の新川に行ってきました。
この光景を見て、「ヒッチコックの映画『鳥』みたいだ」と思ったあなたは中々の年配者と拝察します。白鳥がいなかったのは残念でしたが、様々な種類の野鳥がギッシリとおりました。
私が見る限り縄張り争いは一切なく、自由で平和な世界が拡がっています。
旭山動物園とはまた違ったおもしろさがありますよ。
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2024.03.27
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ヘンデルを弾いてみました。
ヘンデル作曲「調子の良い鍛治屋」を弾いてみました。
ヘンデルは1685年ドイツで生まれました。生まれた年も国も、あのバッハと一緒。しかもおよそ200?、だいたい旭川、帯広間の距離しか離れていなかったそうです。それにも関わらず結局二人は一度も会う機会はありませんでした。なにせヘンデルはイタリア、イギリスなどで活躍した国際的なスターのような存在。かたやバッハはというと、生涯ドイツから外に出ることなく、主に教会の音楽の仕事をしていた地味な存在。ヘンデルがドイツに里帰りしたとき、バッハの方から会いに行ったのですがスルーされたようです・・・。
そんなバッハですが、後に続くモーツァルト、ベートーベンをはじめ、様々な音楽家に影響を与え、次第にその存在が大きくなって、「音楽の父」と言われるようになりました。ヘンデルも、多くの作品が時代を超えて演奏され続けていてバッハに並ぶ存在ということで「音楽の母」と言われています。
この「調子の良い鍛治屋」は題名から子供向けに作られた曲、と思われがちですが、決してそうではありません。正式な名称は
「ハープシコード組曲第一集第5番の終曲、エアと変奏」であります。スピード感があって次々と変化して楽しい曲です。
私はテンポの速い曲を弾くのは苦手なので、遅めの演奏です。
一言、「ゆっくり弾けば何でも弾ける!」
39才からピアノを始めて23年7ヶ月目の演奏です。
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2024.03.08
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またよろしくお願いします。
日差しがだいぶ春らしくなってきました。でも明日の朝は−15度位になるみたいです。
思ったこと感じたことを自由に書いていきたいと思います。
まずは天気の話からということで・・。
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2023.08.12
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お盆参りの思い出
お経をいただくときは、お念仏してから、「ち〜ん」と鳴らします。これはキンという仏具をたたいて鳴らすのですが、お経の調子を整える、という意味があります。皆さんのお宅のお仏壇にも必ずそなえてあるものです。
以前、あるお寺に勤めさせていただいているときのお盆参りでのことです。初めてのお宅でした。奥の方に案内されて入った薄暗い部屋にお仏壇がありました。お念仏して、さてキンをと、たたいたら「コン!」という音が。えっ、とよく見たら、隣に置いてあった金香炉をたたいていました。色と形が似ていたもんで・・・。後ろのご門徒さんは気づいていないようだったので、何事もなかったように「ち〜ん」。
小さなミスですが、コンという鈍い音と、必死で隠そうとする自分が可笑しくて、お盆参りになったら思い出します。
さて、このブログですが、住職退任を機に、一区切りをつけようと思います。結構長い間お付き合いいただきありがとうございました。また別のテーマ、題名で始めるかもしれませんので、その時はよろしくお願いいたします。
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2023.08.01
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住職が替わります。
8月1日より、私は12年半務めた東法寺住職を退任し、私の姪である寺井沙希が住職を務めることになりました。
私が辞めると聞いて、体を心配してくださる方もおられますが、安心してください。私は元気ですよ・・。
数年前から、京都の本山に勤める姪に、「結婚したら夫婦で東法寺に入寺してくれ」と頼んでいたのですが(こういう条件付けは、何かしらのハラスメントになるかもしれませんね)、先日、めでたく仏前結婚式を挙げ、夫婦で、お寺に入ってくれることになりました。私もホッとしているところです。私の住職としての一番の功績は、無事、次の代に引き継ぐことが出来たことでしょう。
ということで、私はというと、これからもお聴聞、お念仏の生活を変わらずに送っていきます。
ありがとうございました。どうぞよろしくお願いいたします。
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2023.07.05
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7月6日は常例法座の日
7月6日は13時より、本堂において常例法座を開きます。
御講師は、山口県、専徳寺、原田英真師です。
8月はお盆、9月は報恩講で常例法座はお休みとなりますので、今年前半を締めくくる法座となります。
どなたでもどうぞお参りください。
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2023.06.29
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仏前結婚式
先日、私の姪が、夫となる人と東法寺の本堂で、仏前結婚式を挙げました。
その日の朝、近所の人と話をしていて、今日、お寺で結婚式がある、と言ったら、「ええっ。お寺で結婚式?」と、えらい驚いていました。なぜなんでしょうね。「仏教」によって生きる方向を共にする二人が、仏様の前で誓い合う、厳かで尊くて喜びに満ちた結婚式であります。もっと一般にひろがってほしいですね。
さて、この結婚式、私が司婚者を務めさせていただきました。皆で読経し、そして二人の誓いの言葉、それから指輪の交換・・ではなく、念珠の授与式。私が二人に新たな念珠を手にかけました。
最後に法話。結婚式で法話をするのは初めてなので、尊い経験をさせていただきました。以下、法話の一部です。
「・・・二人で力を合わせて実りある人生を歩んでもらいたいものです。ところで、この、力を合わせる、ということですが、二人が力を合わせることによって、その力が二倍にも十倍にもなることがあるし、逆に、二分の一、十分の一になってしまうこともあります。一体何が違うのだろうか考えてみたのですが、阿弥陀経の言葉の中にその答えのヒントがあるのではないかと思ったので、ちょっと味わってみたいと思います。
阿弥陀経の中に『青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光』という言葉があります。この意味は、極楽浄土の池では青い色の蓮の花は青い光を放っている、黄色い蓮の花は黄色い光を放っている、赤い色の蓮の花は赤い色の光を放っている、白い色の蓮の花は白い光を放っている、ということです。当たり前のことを言っていると思ってしまいますが、この蓮の花を自分自身として見たらどうでしょうか。自分は自分の色で輝いているだろうか、ということです。
隣のこの人の色はうらやましい、とか、あの人の色はたいしたことない、とか、いつも他人と比較して、自分の色を精一杯輝かすことが出来ないでいるのではないでしょうか。
お浄土の蓮の花のように、人はみな色が違って、それぞれが自分の色で精一杯輝いて、調和している、それこそが二倍十倍になるような、本当に力を合わせる、と言うことなのではないかと思います。
夫婦になったら二人で力を合わせての生活になりますが、二人それぞれ色が違うし、長所もあれば短所もある。それらを如来の大悲のこころにならって、お互いに認め合う、それが調和になり、ともに歩む念仏者としてお浄土の蓮の花のように輝くのではないでしょうか。
どうぞのびのびとした、明るい家庭を築いてください。」
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2023.06.05
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6月6日は常例法座の日
6月6日は、13時より、本堂において常例法座を開きます。
ご講師は、徳島県美馬市、千葉恒乗師です。
遠方より来てくださるご講師の方が多くなってまいりました。どのようなお話が聞けるか楽しみであります。
どなたでも、どうぞお参りください。
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2023.05.28
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今月の掲示板の言葉
「生老病死と向き合うことが、生きること」
劇作家の寺山修司は、作品の中でこんな言葉を残しています。
「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死も終わる」
生と死は別々なのではなく、生の中に死がある、ということなのでしょう。
お釈迦様も、死を、生きる上での苦しみとして向き合っておられます。死に加えて、生、老、病を根本的な苦しみ、「四苦」と説かれています。この「苦」ですが、古いインドの言葉では「思い通りにならない」という意味があるそうです。
思い通りにならないということは、いのち自体が人間の都合のいいように支配できるような、ちっぽけなものではないということであり、避けて通ることの出来ない、本当のいのちの姿である、ということでしょう。
この生老病死に向き合われたお釈迦様は、それらの思い通りにならないものを抱えたまま、本当のいのちの姿のまま救われていく教えを説いてくださいました。
私たちにとって、生老病死と向き合うということは本当に難しいことでありますが、とことん向き合ってくださった如来の法を聞かせていただくことが出来ます。そこに、如来の他力に支えられ進んでいける道があります。如来に生かされている道が生きる道です。
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2023.05.25
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5月26日、27日は、春期永代経法要
5月26日、27日は、昼1時より、春期永代経法要をお勤めします。
御講師は、長沼町、誓報寺、天野廣海師です。
私たちの亡き方々への思いは、如来の私たちへの思いにであうご縁であります。仏法の生死を超えた教えを聞きましょう。
今年最初の大きな法要です。どうぞお参りください。
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2023.05.05
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五月六日は常例法座の日
五月六日は、昼1時より常例法座を開きます。
御講師は、岩見沢市、報恩寺、辰田真弥師です。
今、私にとって一番大事なことを聞くのがお聴聞です。真っ先に聞かせていただきましょう。
どなたでもどうぞお参りください。
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2023.04.05
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4月6日は常例法座の日
4月6日は昼1時より、本堂において常例法座を開きます。
御講師は、三重県、延長寺、寺尾俊洋師です。
今は入学式シーズンであります。今年から市立となって開学した旭川市立大学も4日に入学式があったとニュースになっていました。もし市民割引があるのなら、面白そうな科目を聴講してみたいですね。以前からここの図書館が市民に開放されてたので、手続きして何度か入ったことがあります。学生さん方が礼儀正しくて、私とすれ違う時、礼をされて少々照れくさかったですが。
いくつになっても学ぶ楽しみを持っていたいものです。仏教を学んでみたい、という人もたくさんおられると思います。そのような方でも大歓迎です。どうぞお聴聞においでください。 どなたでもどうぞ。
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2023.03.31
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今月の掲示板の言葉
「悪人は許さない。けれど見捨てない。如来のこころ。」
上田義文著『親鸞の思想構造』の中に、こんな文章があって、救いとは何か、ということを考えさせられたものです。
「・・・許される、という言葉である。これはキリスト教では大事な言葉のようだけれども、親鸞の語彙にはない。キリスト教の神と違って、弥陀仏は衆生を裁かれないから、従って、許すということもない・・・」
「悪人が救われる」と聞いて、「どんな悪も、念仏を称えれば許される」と受け取る人がいるようです。しかし、そこには如来の裁きもなければ許しもない、ということです。それではどのように救われるかというと、「摂取不捨」如来の大悲が私をおさめとって決して見捨てない、ということです。
法律の悪人は、法律に背いた者です。裁きがあり許しがありますが、仏法における悪人は、煩悩を抱えているがゆえに如来に背を向けているような行いをしている私、裁かれて済まされようがない、許されてきれいさっぱりになりようがない、私の姿なのではないでしょうか。
摂取不捨のはたらきの中で、悪が悲しみとなって究極の善に向かう道、それが念仏の道である、と聞かせていただいています。
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2023.03.20
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3月21日は彼岸会
3月21日は、昼1時より、本堂において彼岸会をお勤めします。
法話は住職です。
此岸から彼岸へ、迷いの世界から悟りの世界へ、冬から春へ、向かっております。お経、念仏の声を聞きながら進んでまいりましょう。
どなたでもどうぞお参りください。
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2023.03.05
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3月6日は常例法座の日
3月6日は、昼1時より本堂において常例法座をお勤めします。
御講師は、大阪教区、明教寺、不死川昌史師です。
今はちょうど冬と春の間、と言っていいでしょう。雪の間から路面が多く見えてきました。でも油断すると、凍っているところがあったりするので、何度も転びそうになりました。どうぞ、気をつけておいでください。
どなたでもどうぞ。
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2023.02.05
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2月6日は常例法座の日
二月六日は、昼一時より本堂において、常例法座を開きます。
御講師は、留萌組、西暁寺、藤 法順師です。
冬真っ盛り。雪の量、寒さ、今が一番厳しいかもしれません。でも、本堂に入ったら、暖かい場所で、温かい言葉にであえます。
どなたでもどうぞお参りください。
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2023.01.31
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今月の掲示板の言葉
「他人事ではない」
若いときの話です。法事が終わってお斎(食事)となりました。アルコールも入って賑やかになってきたとき、ご門徒の親戚の方が私に話しかけてきました。
「お宅の所は浄土真宗でしょ」
「はいそうですよ」
「浄土真宗は他力本願でしょ。他人に何でもやってもらうという」
「本当の意味はちがいますよ。他というのは他人ではなくて如来のことです。願いは自分の願いではなく如来の願いのことです。いのちが支えられ救われていく道を私どもに与えたいという如来の願いが、すでにはたらきとなって念仏の声となって届いてくださっているということです」
「でも修行がないんでしょ。他の宗派なんて滝に打たれたり、何日も山の中を歩いたり、本当に立派で頭が下がる。それに比べて浄土真宗はサボっているんでないの」
実は、このように言われるのは初めてではありません。それで今度言われたら、逆にその人に聞いてみようと思ったことがあったので、さっそく聞いてみました。
「それじゃあなたは何か修行をされているんですか?」
「私が修行なんてとんでもない。出来るわけないしょ。だから坊さんに頑張ってほしいのさ」
想定通りの言葉が返ってきたので、私はその方に言いました。
「それこそが他人任せじゃないんですか」
他の宗派の厳しい修行をされている姿は私も見たことがありますし、本当に頭が下がる思いがいたします。でも、その姿を見て自分自身が仏法と出会い、仏法をよりどころとして生きる身とならなければ、結局は他人事であって、プロスポーツ選手のすばらしいプレーを見て感心しているのと変わらないのではないでしょうか。
浄土真宗にも行はあります。でも、じぶんの自らの力で行うのではありません。如来が菩薩の時のすべての行が南無阿弥陀仏の名号に込められて、私に届けてくださり、自らの知恵と力を超えた如来のはたらきによって、迷いから悟りへ向かう身にさせていただいているのです。
自らの修行がないからこそ、今、私が仏法と出会い、仏道を進む身にならせていただいているのです。すべてのものにも平等に。
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2023.01.27
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あれ、この名前・・・
NHKの大河ドラマは、私が楽しみにしている番組です。私の日本史の知識はほとんどが大河ドラマによる、といっても過言ではないでしょう(ドラマだから創作も多いのですが)。
大河ドラマと言えば、冨田勲、武満徹など、著名な作曲家が作ったテーマ曲で始まります。それを聞くのも楽しみなので、今月から始まった「どうする家康」はどんな音楽だろうかと聞いていたら、「音楽 稲本響」と画面に映りました。あれ、この名前はもしかして・・と調べてみたら、正しく私の思い当たった人に間違いありませんでした。
30年程前、私は大阪の寺院に勤めさせていただいていました。阪神大震災があったり、住んでる近くでは大阪ドームの建設が始まったり、という頃であります。
その時、縁があった方が、ある演奏会に招待してくださいました。それが稲本響さんのピアノ、そしてお父様と弟さんのクラリネットによる演奏会だったのです(そういえばこのテーマ曲、ピアノとクラリネットで始まります)。
地味そう・・と思ったのですが、実際聞いてみるとクラリネットの音が本当に心地よく魅力的で、楽しい演奏会でした。当時高校生だった響さんのピアノもすばらしく、ベートーベンの熱情ソナタはまさしく情熱的な演奏でした。毎年行われるこの演奏会が私の楽しみとなりました。
私が大阪を離れたときは、お父様から丁寧なお手紙をいただいて、いつか住職になったら本堂で演奏してもらいたいな、と思っていたのですが・・・。当時中学生だった弟さんも、ネットで調べたら今は大学でクラリネットを教えておられるようです。
久しぶりに会ったら、あまりの変わりように驚くことがよくあります。かえっていつも会っている人の方が変化に気がつかないものです。他人がそうなんだから、自分自身のことになると、ずうっと一緒なので、なおさら変化に気がつきにくいのではないでしょうか。
自分自身はたいして変わっていない、と思っても、久しぶりに会う人には驚くほど変わったと思われているのかもしれませんね。。
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